「トルコは文化の宝庫」 第45回

アタチュルク廟 (中央アナトリア地方アンカラ県)

「トルコは文化の宝庫」 第45回

今日はトルコ共和国の建設者で偉大なる指導者のムスタファ・ケマル・アタチュルの霊廟、アタチュルク廟をご紹介します。

 

アタチュルは1938年に死去する前に、「私の最も大きな業績は共和国だ。」と述べ、遺産を指摘しました。

我々の共和国の建設者はイスタンブールのドルマバフチェ宮殿で、1938年11月10日にこの世を去り、大きな戦い、努力、革命と共に建設した近代的な共和国をトルコ国民にゆだねました。

彼の死は国民を大きな悲しみに包み、ドルマバフチェ宮殿に用意された棺代の前を、全てのイスタンブール市民が悲しみと共に泣きながら通りました。

第1次世界大戦で敗北したオスマン帝国は、セーヴル条約などの不公平な条約により、崩壊の危機に瀕しました。

首都イスタンブール、そしてイズミルとアナトリアの多くの土地は、戦争の勝者により占領されるところでした。

この暗い日々に開始された国民闘争の勝利により発足された若い共和国の建設者アタチュルクは、1938年にこの世を去るまで、新しい国家の形成に努めました。

 

アタチュルクの遺体はイスタンブールからアンカラに搬送され、民族博物館に建設された一時的な墓に安置されました。

長い調査の末、共和国の建設者にふさわしい墓の建設のために、アヌッテペが選ばれました。

以前アヌッテペは、ここに存在していた数戸の古い建物が、偵察を目的に使用されていたことから、ラサットテぺと呼ばれていました。

ここはすぐに国有化され、全国的コンペティションが行われて、アタチュルク廟建設のためにエミン・オナト教授とオルハン・アルダ博士のプロジェクトが選出されました。

現在のアタチュルク廟は彼らの作品です。

1943年に開始された建設作業は、1953年に終了しました。

盛大な式典と共にアタチュルクは民族博物館の一時的な墓から、永遠に眠るアタチュルク廟に搬送されました。

アンカラ市民はアタチュルクに抱いていた感謝の気持ちを、この搬送中に表しました。

 

3000平方メートルの広さの霊廟は、トルコ独立戦争と革命に関する作品が展示されている巨大な複合施設となり、アタチュルク廟博物館として現在、数千人の国民と外国人の訪問を受けています。

アンカラ以外からの訪問者たちがまず一番最初に見学、訪問したい場所であるアタチュルク廟は、独立戦争とそのリーダーであるアタチュルクに敬意が示される、我々の重要な文化的作品です。

1960年以来アタチュルクの私物や外国の元首たちからの贈呈品も展示されている博物館では、アタチュルクのポスターなどのお土産も販売されています。

アンカラを訪れる外国の代表者たちは、重要な行事の一環として必ずアタチュルク廟を訪れ、霊廟に花輪を供えて訪問者帖に感想を記します。

毎年数千人の学生たちも訪問するアタチュルク廟は、アンカラの観光スポットの一つです。

アンカラのほぼすべての場所から見えるアタチュルク廟は、アンカラの建造物の中でアンカラ城と共に最も人気のある場所です。

現在もトルコ国民の心に宿る独立戦争のリーダーへの思いは、ここで最もよく理解することができます。

11月10日の命日に追悼される偉大な指導者が我々に残した共和国と民主主義を、我々は誇りにしています。

 

トルコを訪問中にアンカラにお越しの際は、トルコ国民が尊敬するアタチュルクの永遠の住み家、アタチュルク廟にもぜひお寄りください。



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