「トルコの歴史でスターが輝いた瞬間 」 第42回

アルトゥク・ガジ

「トルコの歴史でスターが輝いた瞬間 」 第42回

オグズ系ドュグュル氏族だったアルトゥク・ガジは、トルコの征服者の中で最も偉大な、セルチュク朝のベグのひとりでした。

アルトゥク・ガジはアゼルバイジャン地方の人口が多いオグズ系の国の首長でしたが、1063年にその国と共に、スルタン・アルプ・アルスラーンの傘下に入りました。

彼は1071年にセルチュク朝スルタンのアルプ・アルスラーンがビザンツ帝国に勝利した、マラズギルトの戦いにも参加しました。

スルタン・アルプ・アルスラーンの司令官のひとりだったアルトゥク・ガジは、中央アナトリアと南アナトリアを征服する任務を与えられました。

彼は最初にクズルウルマク川とイェシルウルマク川の岸を襲来し、中央アナトリア地方の町と城の征服に努めました。

その後もイラク、バーレーン、南東アナトリア、シリア、エルサレム、パレスチナの地域の征服を目指しました。

それではガージ大学の歴史家、ギュライ・クルプク助教授の、アルトゥク・ガジに関する見解をご紹介していきます。

 

エクシュク・ベグの息子アルトゥク・ベグは知られている限りでは、現在のトルコ共和国の首都アンカラの、最初で最古のトルクメン人の征服者です。

伝説によるとアルトゥク・ガジは、アンカラを1073年に征服しました。

アルトゥク・ベグはビザンツ帝国の皇位をめぐる内紛で、皇帝候補のボタネイアテスを支援し、ビザンツ帝国に対し決定的な役割を果たしました。

一方同じ時期にチャカ・ベグの捕虜になり、ボタネイアテスへの奉仕のために、ビザンツ宮殿で仕えたことでも有名です。

アルトゥク・ガジはイズミルの征服に向かう道中で、イズミトからイズミルまでの全西アナトリアへのトルクメン人進出の道を切り開いた襲撃に参加しました。

アルトゥク・ガジは中央アナトリア地方でこの征服活動を続行中に、大セルチュク朝スルタンのマリク・シャーから首都に呼ばれ、ロレスターン地方の事件を鎮静するためにその地域に派遣されました。

アルトゥク・ガジのアナトリアでの素晴らしい功績は、彼が独立したベイリクを設立する以上の、国家元首になれるほど大きなものでした。

バーレーンのカルマトゥ・バトゥヌレルに派遣されたアルトゥク・ガジはバスラを襲来し、カティーフとアフサの城を奪いました。

その後も進攻を続け、バーレーンの島々をカルマチア人から奪ったアルトゥク・ガジは、バグダットに戻りました。

 

バグダットでアッバース朝カリフのカイム・ビエムリッラーの法廷会議に出席したアルトゥク・ガジは、カリフからルクネッディン(宗教的柱)とザフレッディン(宗教的助手)という称号が与えられました。

この式典の後、再びバスラに向かったアルトゥク・ガジは、カルマチア人が新たに起こした反乱を完全に制圧し、フルヴァンに戻ってスルタン・マリク・シャーと面会しました。

彼に遠征について報告したアルトゥク・ガジの次の派遣先は、再び大セルチュク朝スルタンのマリク・シャーの命令により、南東アナトリアに決まりました。

南東アナトリアとシリアの地元のベグたちは互いに戦いの最中で、大セルチュク朝スルタンとのつながりは弱いものでした。

スルタン・マリク・シャーは、アンタクヤまでの領土を直接セルチュク朝に繋げる重要性を考えていました。

フルヴァン地方からシリア・セルチュク朝のメリキ・トゥトゥシュを訪問したアルトゥク・ガジは、1085年にそこからエルサレムに向かいました。

トゥトゥシュはエルサレムとその周辺を、セルチュク朝のイクター制を適用し、アルトゥク・ガジに与えました。

 

アルトゥク・ガジはアナトリア征服者のスレイマン・シャーとシリア・セルチュク朝のメリキ・トゥトゥシュのアレッポ付近で行われた戦争で、トゥトゥシュを支援しました。

スレイマン・シャーの死により終結したこの戦争の後、アレッポとシリアの地域は完全にトゥトゥシュの手に渡りました。

しかし大セルチュク朝スルタンのマリク・シャーはスレイマン・シャーが殺害されたことに憤慨し、シリア遠征に乗り出しました。

この状況でトゥトゥシュとアルトゥク・ガジは南のダマスカス、エルサレム、パレスチナ方面に向かい、アルトゥク・ガジはエルサレムに退陣しました。

それから死去するまでエルサレムで暮らしたエミル・アルトゥク・ガジの霊廟は、エルサレムにあります。

歴史家イブニュレシルが「勝利しなかった戦争はなかった」と紹介したアルトゥク・ガジの息子ショクメンとイルガジは、アルトゥク・ガジの後にエルサレムの首長としての任務を引き継ぎました。

アルトゥク・ガジの息子イルガジはその後マルディンで、ショクメンもハサンケイフで、父親に代わりに一つずつベイリクを設立しました。

これらのベイリクはアナトリアで最初のトルコ人のベイリクになりました。

アルトゥクル一族がマルディン、ディヤルバクル、ハルプト、ハサンケイフ、アフラト、ビトリスで、それぞれ別々のベイリクを設立したことが見受けられます。

アルトゥクル一族の時代からの数多くのマドラサ、診療所、モスク、救貧院、旅館、橋などの歴史的作品は、現在も残っています。

アルトゥク・ガジをはじめ、すべての征服者、殉職者、凱旋兵を善と慈悲と共に追悼します。



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