アナトリアの伝説 第2回

今日は、トロイ戦争についてお届けします。

アナトリアの伝説 第2回

トロイの王の息子パリス王子は、3人の女神がその美を競った、歴史上初の美のコンテストでアフロディテを勝者に選び、アフロディテも約束通り、アテネのヘレンの愛を褒美としてパリスに授けました。アテネの王メネラオスの10年越しの妻だったヘレンは、ある夜宮殿の客となったトロイの王子パリスとともに逃避行をします。妻がさらわれたことに立腹したアテネの王メネラオスは、ギリシャのすべての都市に知らせを送り、大きな軍隊を結成します。その本来の目的は、商業を通じて急速に豊かになったトロイの略奪でした。紀元前2200年に本当に起こった戦争であると考えられているこの戦争で、大船団がダーダネルス海峡のアジア側の海岸にほど近いトロイの前までやって来ます。上陸した軍隊は、強力なトロイの防衛を破って城壁を超えることがどうしてもできません。10年経ってもどうしても勝利を得られないギリシャ軍に、焦りが生まれます。兵士は故郷や家に戻りたいと声高に訴え始めます。アテネの王メネラオスは、どうすべきか、どうしても決心がつきません。王が相談した占い師は、戦いではトロイを陥落させることはできないが、策略により征服できると言います。ギリシャ軍には、半分が神で半分が人であるアキレウスもいて、トロイの王の、英雄である息子ヘクトルとの戦いは、多くの人に伝わった叙事詩となっています。アキレウスは、ヘレンを救い出すために行われる戦争で、自分が死ぬということを知っていながら、この戦いにやって来ました。アキレウスの母は、彼がまだ子供のときに彼を不死の川に入れたので、川の水がかからなかったかかとを射抜かれたときだけ、アキレウスは死ぬと信じられていました。トロイ戦争の際、パリスはアキレウスのかかとを射抜いてアキレウスの命を奪います。今日もアキレス腱として知られる体の部分は、世界中でアキレウスの名前がつけられています。

アテネの王は、トロイを策略によってどう陥落させるかを調べ、その配下の王であるオデュッセウスは、木馬の模型を造り、その中に兵士を入らせ、見せかけの撤退の後に、トロイに引き入れられるであろうこの木馬の中に隠れた兵士によって、城門を開くよう勧めます。メネラオスはこの勧めを気に入り、木馬が造られ、中に兵士が入ってから、残った軍は船に乗って撤退し、身を隠します。トロイ人は、敵の軍が去ったのを見て大いに喜びます。戦場には大きな木馬が残されています。占い師の1人は、この木馬がトロイに引き入れられれば災厄がふりかかると予言します。トロイ人はその占い師に耳を貸さず、木馬はトロイに引き入れられ、神殿に運び込まれます。夜がふけると、勝利に酔いしれたトロイ人が眠っている隙に、オデュッセウスとその兵士が木馬の外に出て来て、トロイの門を開き、外で身を隠していたギリシャ軍がトロイを陥落させます。紀元前2200年代にトロイの都市が焼け落ちたことは、考古学資料により知られています。アテネの王により略奪されたトロイは、大地の下に埋もれてしまいます。

ボドルム出身の吟遊詩人ホメロスの綴った叙事詩イーリアスそしてオデュッセイアにより、トロイ戦争は今日まで語り継がれています。19世紀末に素人の考古学者だったシュリーマンは、自分の妻がいつも読んでいたこの叙事詩に感化されて、チャナッカレ地方を訪れ、調査した結果、トロイを発見し、発掘を行います。シュリーマンのトロイ発見は、世界中で空想の産物だと考えられていたトロイ戦争が実際に起こったという考えを立証します。トロイの木馬とトロイ戦争は、今日の私たちの文化に息づいています。コンピューターのウイルスの1つとして、トロイの木馬という言い方は今も使われています。



注目ニュース