「世界の視点」 第28回

7月15日:殺人ロボットの血にまみれた企て

「世界の視点」 第28回

アンカラ・ユルドゥルム・ベヤジット大学政治学部クドレト・ビュルビュル学長著

 

トルコ以外の国で暮らす人々は、管理が効かなくなったロボットが、特別なウイルスを注入されて管理される人々または自らに特別な使命を課す倒錯した集団が人類に対し作り出した脅威や、それに対し世界を救うための果敢な闘争を、映画の中でしか見たことがないかもしれません。

トルコは、2016年7月15日にこれと全く同じ事件を経験しました。国家内部に潜入し、「フェト」と呼ばれ、映画でのようにいつもは何気ない顔をした、しかしウイルスに指令が下ると怪物化する、倒錯した宗教信仰団の軍事クーデター企てに直面しました。

その夜何が起こったか

レジェプ・ターイプ・エルドアン大統領の呼びかけを受けて、トルコ国民が民主主義と未来を守るために行った闘争は、映画でさえ見られないほど果敢な戦いでした。トルコ全土で何百万人もの人々が外に繰り出しました。市民たちは、公共機関や軍事機関を包囲しました。フェトの兵士は、銃弾を受けても引き下がりませんでした。その夜、筆者も外にいました。筆者と近い関係にある人々や、筆者の友人が、人類が奴隷、アサシン、フランケンシュタイン、または倒錯した集団のメンバーの虜にならないよう、繰り出しました。

トルコは以前もクーデターに直面したことがあります。しかし、自国の国民を直接攻撃する、こんなにも血にまみれたクーデター企てと直面するのは初めてでした。あらゆる思想を持つ何百万人もの人々が、クーデター企てに対し何週間も外に留まりました。自分の国を、未来を、誇りを、民主主義を、人間性を守りました。何百万人もの人々が何週間も外にいたにもかかわらず、騒乱、略奪、泥棒といった事件は1度も起こらず、アリすらも傷つけなかったかのようです。トルコの一般人が、市民が、「最も暴力的なクーデター企てを最も民主的で平和的な方法でどう防ぐか」を、全世界にあたかも実演して見せたのです。

1990年代に、中国の天安門広場で、誇り高い1人の若い中国人が中国の戦車の前に立ちはだかりました。洗脳されていなかったために、この青年に対し中国軍は引き下がりました。この勇敢な行動は全世界のメディアが目の当たりにし、拍手を送りました。トルコでは、倒錯した宗教信仰により人間性を失っていたために、フェトのメンバーらは戦車を人々に向かって突進させました。1人だけではなく、全国民の果敢な抵抗に、世界のメディアはほとんど目を向けませんでした。国際社会からも十分は評価を得られませんでしたが、この誇り、この抵抗は、それを見た人々から忘れられることはないでしょう。

「フェト」の正体

国際社会は、残念ながらフェトの正体を十分に理解していません。フェト(フェトフッラー派テロ組織)とは、そのメンバーに、リーダーを救世主とみなさせ、自己の倒錯した宗教信仰の周りに新たな世界を築こうとしている組織です。リーダーは、選ばれた救世主とみなされます。それと繋がっている者も、自分を選ばれた人物とみなします。この枠内で、全世界を「救う」という信仰を持っています。その目的で、全世界の国々や地域、町々、地区にその宗教指導者がいます。リーダーのフェトフッラー・ギュレンは、一国だけではなく、全世界を救う「森羅万象の指導者」とされています。フェトが世界的な運動であるのはこのためです。

フェトは、メンバーにこのカルト宗教を信じさせるために、長く難しい訓練を受けさせます。この過程でメンバーは完全に社会と分離します。特別な環境、特別な儀式により、完全に自分が信じ、知っている信仰と世界が作り出されます。この過程でメンバーはゆっくりと家族や社会的価値、そして平和と平安の宗教であるイスラムが何世紀にもわたって築いてきた一般的な価値から遠ざかります。1970年代に始まったこの運動は、歴史、未来、文明の視点を持たない根無しの運動であるため、メンバーは、しばらくしてから自分だけが知り、信じる倒錯した信仰を持つようになります。自分の子どもたちがフェトの学校で学ぶ家族は、少し注意すれば、子どもたちが少しずつ家族から離れていくのがわかります。

このように再形成された後にフェトのメンバーは、自分が特別で秘密の、神聖な使命を持つと考える人々に変貌します。彼らは「非常に神聖」とする目的を持っています。その目的を達成するために課された最も基本の命令は、自分を決して明らかにせず、どんな状況でも自分を隠すということです。自分を隠し、目的を達成するためなら、どんな方法も彼らにとっては正当なものです。なぜなら、やったことすべてを正当化し、自分だけが知り、信じる「神聖な」目的というものがあるからです。そのため、あらゆる種類の信仰、格好、行動、イデオロギーも持っているのが見られます。メヴラーナの「ありのままの姿を見せよ、または見せている姿のようにあれ」という哲学の全く反対の形で、決して真の姿を見せません。その意図は様々であるため、見せている姿のようにもなれません。


キーワード: 世界の視点

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